いよいよ2008年の幕があけました。
今年も香ばしいヤツらをウォッチしつつ、マイペースで更新していこうと思います。
さて新年最初の更新記事はどうしようかと迷いましたが、新年早々100%ZNネタというのも気乗りがしません。とりあえず映画「セカチュー」の放送があったのを機に、サラリとレビューを書いてみます。
.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*.。.:*・゜ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*.。.:*・゜
あらすじなどはみなさんもよくご存じでしょうから、すっ飛ばします。で、結論から言っちゃいますと、いろいろな意味でツッコミどころ満載でした(笑)。
サク(主人公)の高校生時代を森山未來、成人を大沢たかおが演じているのですが、同じようなタイプの顔なので違和感がなくてよかったです。(テレビドラマ版は山田孝之⇒緒方直人で、こっちはちょっと違うかな〜。)ただ長澤まさみ演じるアキはあんまりよくなかったです。どんなにメイクで病人っぽくしても、頬がふっくらしているから病人には見えません。テレビドラマでは綾瀬はるかが演じていましたが、彼女のほうがずっとうまかったですよ。(彼女は役作りのために本当に髪を剃ったと、どこかで聞いた気がします。)森山未來の演技はいいけど、大沢たかおは、うーん…。
ノーヘルでバイク二人乗りって、アリですか?
無菌室に入れておかなければいけない重症患者を、酸素ボンベなどの必要な機材も持たず病院から無理矢理連れ出してオーストラリアへ旅行するのは、アリですか?(結局アキがぶっ倒れて旅行どころじゃなくなるのですが…。)
空港でアキがぶっ倒れてサクが「助けてくださいっ!」と絶叫してるのに、周囲の人たちはスルーですか?
カセットテープをサクに届ける途中、車に轢かれる律子が不自然です。(あれだけ勢いよく轢かれたのに、外傷がまったくない。)
…などなど。ツッコミを入れ始めたら止まりません(笑)。ストーリー云々より、不自然な設定が多すぎて笑っちゃいました。この映画がヒットした当時、コントなどでネタにされまくりだったのがよくわかります。薄幸の少女=白血病で死ぬというのも、ベタすぎ。「百恵さんの赤いシリーズかよっ!?」とツッコミたくなります。
あとストーリー的にいえば、サクはアキを完全な思い出に変えるのに10年以上もかかっているのも現実離れしているかな。律子にしてみれば、死んだ人にはどんなに頑張っても勝てない分だけ、つらいでしょうに。律子がアウト・オブ・眼中なのもあり得ないし、そんなサクに見切りをつけない律子も変です。
ひとつしょーもないことでツッコミます。アキはサクのどこが好きだったんでしょう?それがわからないんですよ。ルックスも学力も運動神経もすべてにおいて優秀な彼女にサクが憧れるのはわかりますけどね。(あ、この設定はZNの言う「男はみな下方願望がある」を否定していることになりませんかね?/笑)
これで泣けというなら無理です。それでもこの映画で泣ける人は、よほど純粋なのかもしれませんね。これを純愛というのには、私も反対です。(結論はZNと同じでも、そこに至るプロセスがまったく違います。)
ここからはZNに絡めた内容です。
すでにこのブログで何度も言ってきましたが、ZNがこの「セカチュー」や「冬ソナ」に触発されて、「こんな『お子様ランチ』は純愛とはいわんのじゃーっ!!本物の純愛がどういうものか、このワシが書いてやるっ!!」とほざき、できあがったのが、あの「愛の流刑地」です(笑)。年末に借りたZN本にこんなことが書いてありましたよ。
最近「純愛モノ」といわれる「冬のソナタ」や「世界の中心で、愛をさけぶ」といったストーリーに共通しているのは、主人公の男女のあいだにセックスがない。あるいは描かれていないこと。最近は、マスコミがそういう男女関係を「純愛」と呼んで、とくに女性が夢中になっている。でも、高校生の淡い恋のような、セックス抜きのプラトニックな関係を「純愛」というのは、あまりにも考え方が幼いと思う。
例えば10代の頃、同級生にほのかな思いを抱いて、「心からあの人が好き」と思う。それは悪くないけど、そういう関係に、そもそも愛と呼べるだけの深みがあるのかどうか。肉体関係のない愛は、愛の内容がきれいごとすぎて幼いという意味で、「純愛」というより、むしろ「幼稚愛」と呼んだほうがいいかも。
ZNの著書「これだけ違う男と女」より引用
これも以前話したように、「冬ソナ」に代表される韓ドラは儒教から強く影響を受けているため、セックスシーンはタブーとされています。たしかに「冬ソナ」には「どうしてここで寝ないの?ストーリー上おかしいじゃん」と思う場面があり、それが不自然なのですが、儒教の影響を受けていることとクライマックスのどんでん返しを考えると、(リアリティがあるかどうかは別問題として)あのしょーもない展開も納得できないことはないんですよ。問題は、ZNがそこを理解した上で上記の発言をしているのか?ってことです。韓国と儒教の関係を知らないで言っているとしたら、プロの作家としては知識が浅いし、知っていての発言ならバカまる出しですよ。(以前読んだZNのエッセーから推測するに、多分韓国と儒教の関係は知らないんだと思います。「『冬ソナ』にセックスがないのは、あると純愛でなくなりファンが減るから」なんてマジでのたまわっているくらいですから。詳細は
こちらをお読みください。)
「セカチュー」にいたっては、高校生の恋愛を描くのにセックスを盛り込んでドロドロされても、見ているほうにはヘビーすぎます。ただでさえこの話のヒロイン(主人公の初恋の相手)は白血病(←薄幸の少女のお約束?)で死んで、それだけでも十分重たいテーマです。
もちろんZNの言うこともわからなくはないですよ。でもしょせん小説やドラマの世界です。星の数ほどある物語の中で、こんなものがあっても悪いとは私は思いません。それが作品的に評価できるかできないかは各読者(視聴者)の感性の問題です。叩くべき諸悪の根源は、たまたま社会的に話題になっているからといって、それに乗っかるマスコミの偏った報道のあり方じゃないでしょうか。さらにそれに触発されてくだらないエロ小説もどきを新聞連載したがるジジイまで出てくる始末で…。(まあ、本当にいいものはヘタな工作をしなくても話題になるものです。韓流のエセブームがいい例でしょ。あんなの、最初からブームじゃなかったし。)
ちなみにZNの純愛の定義とは、「セックスの相性から性格まで合って、心も体も深く溶け合って、命に代えてもいいくらいの快感に酔いしれ、相手を恋しく思い合う」ことだそうです。(「失楽園」の久木と凛子や「愛ルケ」の菊治と冬香が、そういう関係といえるかどうかはまた別の議論になりますけど。)
セカチューですか?
実は私原作を読んでないのはもちろん(?)ドラマも映画も見てないんです。
でも、あれだけ話題になったんだから大体のストーリーはなんとなくわかります。
やっぱり白血病で殺しちゃったりしたら、簡単に涙は取れますが、それをやっちゃいかんですよね。
今は純愛ものは書きにくいかもしれませんね。
結核をはじめとする病気も多くは克服されたし、身分違いもないし、不倫だってぜんぜんあったりまえだし(?)、ロミオとジュリエットのように家が敵同士とか考えられないし・・・・だからこそ、圧倒的力量のある作家が細やかな心理描写で純愛を書くべきなんでしょうね。
でも、現実は白血病とかヤリながらの心中とか(どの作品とは言いませんが)ベタな設定に逃げているような気がします。
原作者の片山恭一センセーがどうも私の近くにお住まいのようでなぜか複雑な心境です。(笑)